露骨な「法学勉強してますアピール」をするための記事
こんにちは。karasunです。
今日は曲がりなりにも法律を学んでいる身として,法学の疑問点なんか書いちゃったりしてみたりしようかなと思います。
多分私が疑問に思うことなんてとっくに学者様の手によって解決されているんでしょうけど。
法学の基本的内容
前提として,法学ってどんなことをしている学問かを軽くご紹介しますね。
※もう知ってるとか読むのめんどいって方は飛ばしてください※
まず法律ってのがあるじゃないですか。
「人を殺したら死刑」とかそういうやつですよね。
で,殺人事件が起きたとします。
そうすると,この法律が適用されて,犯人は死刑になるわけです。
このような単純な事案であれば,法学は基本的に必要ないということになるんですね(どのような法律を作るべきか?という意味では必要ですが)。
困るのはこんなケースです。
妊婦さんが何者かにお腹を殴られ,その影響でお腹の中の胎児は流産してしまうという痛ましい事件が発生しました。
このとき,犯人は死刑でしょうか?
感情論としては「許せない。こんな奴死刑だ。」と思う気持ちもあるでしょう。
しかし,ここで「胎児は人なのか?」という疑問にぶち当たります。
逆に言えば,「人」とは何なのか?という疑問が発生します。
この「人」とかそういう言葉の定義を考えるのが法学の基本です。
つまり法律の文言解釈です。
ちなみに上の例で言えば,色々と議論はありますが,「人」というのは母体から一部が露出した時点から始まると考えるのが主流なようです。
そうだとすればこの場合,妊婦のお腹の中にいる胎児は未だ「人」ではないということになり,殺人罪は成立しないということになります。
この結論が果たして妥当かどうか?ということが問題となります。
もし仮にあなたが「こんな結論納得できない!」というのであれば「人」の定義を変えるしかありません。是非法学を学んでください。
これをやってるのが法学者であり,法曹であるわけです。
少しは法学への興味がわきましたかね?
ここで疑問点
さて,本題に入りますが,この文言解釈というのは法律の数だけある訳で,その解釈もああでもないこうでもないとまさに「百家争鳴」の状態なわけです。
で,ここに私の疑問がある訳です。
文言解釈について学説の対立があるとき,どうして立法者に正解を聞かないんだろう?ということです。
ノストラダムスの大予言じゃあるまいし,何を指しているのかよくわからない文言があるのだったら作った人に聞けばいいじゃないですか。
確かに,これをやれば立法優位になり三権分立が脅かされるという懸念はありますが,立法者の意図しない解釈で誤った法適用がなされるよりかは良いんじゃないかと思います。
特に,極めて不明確な文言は立法者の責任として説明義務があるんじゃないかなと思います。
(司法は類推適用やあてはめといった個々の事例問題で頑張ればいいと思います。)
例えばこんなとき……あなたはどう考える?
何故こんなことを思うかと言えば,最近私が勉強した条文でまさに立法者に聞けよと思うような論争があったからです。
それは著作権法第46条4号の中の一節です。
法律がわからなくても大丈夫です。普通に日本語の問題として考えてみてください。
「専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し……」
この「専ら」という副詞です。
これが
A「専ら美術の著作物」(つまり,美術の著作物オンリー)
なのか
B「専ら……販売を目的として」(つまり,販売目的オンリー)
なのか
という議論がある訳です。
これめっちゃくだらなくないですか?書き方の問題じゃんっていう。聞けばすぐわかることじゃん。
ちなみに私はBで解釈しています。主流はAのようです。*1
皆さんはどう思いますかね?
こんな感じで,難しいことを考える以前の問題で日本語不自由な立法が度々ある訳です。その欠陥に我々が付き合うのってなんだかアホらしいなーって話でした。
てことで今日は法律を大して理解していない筆者が持っている素朴な疑問をご紹介しました。
こういう記事を書くとなんとなく自分が賢いっぽい気がしてくるから楽しいですね。
それでは皆さんごきげんよう。